疑問1→解決!
ずっともやもやしていたことがある。
それは、私が中学2年生のときに珍しくも(後にも先にもこのときしかなかった)一家四人で
家族旅行したときのことである。
私の記憶では間違いなく泊まったホテルは「洞爺湖グランドホテル」だった。
しかし後年、洞爺に長年住んでいる人と話したときに、その地元の人は「グランドトーヤっていうのはあるけど、グランドホテルなんて聞いたことが無い」と言ったのである。
へっ?
私の勘違いだというのか?
でも、私にはその看板の映像も脳に焼き付いているし、道路からスロープを上がって玄関まで行くその景色も覚えている。場所はサンパレスの向い当たりだったはずだ(サンパレスはまだ建っていない)。
でも、地元の人は知らないと言っていた。
このモヤモヤ感、実に脳によろしくない。
と、ふと先日私の脳内で電球が光った。つまり、閃いた。
当時の時刻表の旅館案内を見てみよう、と。
以前 BookLive で購入した1975年3月号の時刻表を調べてみる。
すると、みごとなくらいあっけなく「洞爺湖グランドホテル」の名前をそこに発見した。
間違いなく、私が泊まったのは実在する「洞爺湖グランドホテル」だったわけだ。
もっともっと早い時期に閃かなかった自分に腹が立つ。
ついでに言うと、小学生のときの修学旅行で泊まった「光風園」の名も、ここには載っている。
疑問2→迷宮入り
もう一つ記憶があいまいでスッキリしないことがある。
中学3年生のとき(1975年)のことなのだが、私はふと思い立って小学校入学前から5年生まで暮らした浦河の町に日帰りで遊びに行ったことがある。
前もってかつてのクラスメイトに電話で遊びに行くと伝えたのだが、用事があってその日に列車で彼は札幌に行くということで、「じゃあ帰りは一緒に札幌まで向かおう」ということになった。
私は札幌を7:40に発車する急行「えりも1号」に乗り、浦河に向かった。
列車が浦河に着いたのが11:10。
駅でクラスメイトと合流し、別な友人宅へ行き、そこに集まってくれていたかつてのクラスメイトたちといろいろな話をした。
帰りは浦河17:26発の「えりも3号」に乗ったんだと思う。
ただ「えりも3号」だと札幌に着くのは21:27で、そんなに遅くに帰って来たんだったんだろうかと疑問符がつかないではない。
かといって、その1つ前の「えりも2号」だと、浦河発が13:06なので、ほとんど浦河に滞在できないことになる。
ただ、私がすっきりしないのは2号だったのか3号だったのかではなく、日高線エリアで列車の中からホームの立ち売りの駅弁を買ったのだが、それが静内駅だったのか鵡川駅だったのか、どっちだったのだろうというどうでもいいようなことなのである。
時刻表を見ると、駅弁を扱っている駅は静内か鵡川のみ(駅名の前に四角で囲われた『弁』の字が書かれている)。
しかし、静内駅で売っている駅弁は「とりめし」としか書いていない。
一方で、鵡川の駅弁については何も書かれていない。
私が買ったのは「とりめし」ではなく、幕の内弁当だった。
ウィキペディアによると、鵡川駅ではかつて苫米地商店弁当部が幕の内弁当やシシャモ寿司を駅弁として売っていたという(現在は道の駅「むかわ四季の館」内の「食事処たんぽぽ」で苫米地商店は営業を続けている)。
はて?
記載がないだけで静内でも幕の内弁当も売っていて、私はそれを買ったのか?
あるいは鵡川で "シシャモの甘露煮が入っていた" という幕の内弁当を買ったのか?
謎は深まるばかりだ。
もし乗ったのが「えりも3号」だとしたら、鵡川に着くのは19:36。
その時間でもまだ駅弁を売っていたのだろうかというあらたな疑問もわいてくる。
わいてくるが、いまさら解決のしようはない。
あのとき一緒に列車に乗っていた彼に「ねえ、幕の内弁当買ったのどこの駅だっけ?」と尋ねても、「そんなことあったっけ?」で終わるだろう。
いや、一緒に札幌まで列車に乗ったことさえも覚えていないような気がする。
♪ MUUSAN の今日の一曲 ♪ カプースチン(Nikolai Girshevich Kapustin 1937-2020 ウクライナ)の「
思い出(Remenbrance)」。
ピアノ曲「
8つの演奏会用練習曲(Eight concert studies)」Op.40(1984)の第4曲。