119番ではなく110番にかけた
母が亡くなったあと実家で独り暮らしとなった60歳の弟に電話をかけたのは、12月半ばの某日の夕方のこと。しかし彼は電話に出なかった。
翌日も何度か電話をかけたが出なかった。
その一週間ほど前に
母の四十九日法要が寺であったのだが、弟は「足が痛くてちゃんと歩けないので寺に行けない」と、法要を欠席した。
弟には調子が悪いなら病院に行くように言ったが、そこまでのものではないと言っていた。
あれから一週間も経っていないが、体調が悪化し寝込んでいるのかもしれない。
何度か電話をかけた日のさらにその翌日、朝のうちに実家まで様子を見に行ってみた。
インターフォンを押しても反応がない。
四十九日法要が終わっていったん実家に戻り、帰り際になんとなく持っていた方がいいような気がしたので、そのときに弟から預かった合鍵で玄関ドアを開ける。
一階にはいなかった。
二階に上がる。
ドアをノックして彼の部屋の戸を開けると、ベッドの上であおむけに寝ていた。
しかし呼びかけても反応はなかった。
遺体は警察に運ばれ、検案の結果、死因は敗血症だった。
じっくりと1年を振り返る暇もなく今日は大晦日
発見の翌々日に火葬式を行ない、その日の午後に寺にお骨を持って行きお経をあげてもらった。
そこからは役所の手続きやら、水道や電気、燃料店(灯油やプロパンガス)、電話などの休止や停止の連絡、加えて母の口座が凍結されたことによって請求書が届いている各種料金の支払いと、次回以降は私の自宅を送付先にしてほしいという連絡(名義人=母の住所、宛名以外には送れないというものもあった)に追われた。
そんなあわただしい最中でも自分がへたってはいけないので、食欲がなくても昼食はちゃんと食べるようにがんばった。あっ、これは最中。
なお、夕食はアルコール付きなのでちゃんと問題なく食べられるのである。むしろ食べすぎなくらいで、そのせいで翌朝の食欲がないほどだ。
区役所などの窓口まで出向いて手続きをした日は昼食を食べそびれたが ――いや、ただでさえ
独り外食が苦手な私が、こういう状況下でどこかの店で食事をするなんてできっこない―― 出かけずに自宅から方々に電話で手続きをしたときには、がんばって食べた。
セコマの豚丼。
このときは完食できないかと思ったが完食し、エネルギー補充ができた。
レトルトの中華丼も食べた。
無いものねだりで「もっと具が入っていてもバチは当たらないのではないか」と生意気なことを考えながらも、ちゃんと完食した。
チャーハンの素を使わずに、鶏がらスープの素で炒飯も作った。
気が重いときに突然食べても、炒飯っておいしいなと思った。
そんなふうに何を済ませなきゃならないのか、いつまでにやらなければならないのかと、焦りと不安で重い気分だったが、そんなことなど関係なく世の中ではあちこちで流れていたクリスマスソングが正月の音楽にかわり、
仕事納めになり、正月休みに入ったのだった(でも、28日に伊達のコープさっぽろに寄ったら、なぜか BGM で躍動的にアレンジされた「もろびとこぞりて」や「ひいらぎの枝で飾れ」が流れていた)。
そして今日は一年の最後の日。
いやあ、MUUSAN にとっては実にいろんなことがあった一年だった。
例年だと、年末は3日くらいかけて『今年1年を振り返る』ってな記事を書いているのだが、そんな間もなく大晦日を迎えてしまった。
喪中だから大きな声では言えないが、「みなさん、良いお年を!」
♪ MUUSAN の今日の一曲 ♪
讃美歌(ウェールズ民謡)の「ひいらぎの枝で飾れ(Deck the holls)。
私が初めてこの曲をきちんと聴いたのは、1979年12月24日のこと。20:50から NHK-FM で放送された「特別番組 ユネスコクリスマスコンサート」という番組でだった。
歌っていたのは「パリ 木の十字架合唱団」。少年合唱団で、とても美しい歌声だった。